身体(筋肉)は焦る程には成長せず、諦めてしまう程には成長しないものでもありません。
ちゃんと積み重ねていけば確実に大きくなります。
これは私の経験からですが、私自身決して肉体的に恵まれていたとは思いません、
ただ、より大きくなると言う目標を常に持ち続け年月が経過したにすぎません。

 
 
 
 

18才でトレーニングと言うものをスタートしました、当時はまだ自宅トレーニングで100回腕立てやエキスパンダー主体で毎日11時15分からスタートしていました。えっ?何故11時15分かって?それは当時11時15分から11PMと言うテレビ番組が毎日あって、そのオープニングミュージックが私のトレーニングの開始の合図だったのです。ちなみに当時の身長は175センチ体重は65キロでした。



自宅トレーニング歴5年の23才の写真です、当時の私としてはこれでも相当筋肉には自信があり、タンクトップを好んで着る事が多く、常に肺に息をいっぱい吸い込んで胸郭を上げて胸板を分厚く見せる演出を常にしていました。今思えばこの行為が胸筋の発達に繋がったのかも知れません。参考程度ですが当時のメニューは二頭及び胸はエキスパンダーカール(エキスパンダーの片方のはしを足の裏に片方を手に持って横に寝そべって腕相撲をする様に引っ張って倒し込みます)肩はサイドレイズ、あとは腕立て200回とヒンズースクワット200回でした。この頃で78キロ位です。
 
 

 
 

25才からスポーツクラブに通い出し一人前のトレー
ニーになりました。でも相変わらず強靱な肉体を目指してはいましたが自分はボディビルをやっているのではないなどと思っていました。そんな時です、ジムにいた橋本さんと言うカッコイイ身体をしたボディビルダーにコンテスト出場を勧められたのは。当時私はボディビルダーはホモかナルシストではないかと言う世間の人が当時抱きがちな偏見を持っていましたが、彼は無類の女好きでしかも男前で面白いと言う初めて遭遇するタイプの人だったのです。だから彼の誘いはすぐに受け入れられました。
知り合いのカメラマンに撮影してもらったはじめてのポーズ


 
 
 
 



1991初コンテスト参戦!ミスター尼崎と言うまあジム内コンテストでした。結果はミドル級で2位でした、当時の自分としては周りの人に”すごい奴が出る”との前評判が耳に入ってきていた割にはこんなもんかと正直ガッカリでした。でもその時の橋本さんに「お祭りやから結果は気にするな」、と言う言葉は10年以上経った今でも私の心に残っています。

 





 
 
 
   
 


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